花と実と魔女と

10ウィーンとパリ1





2010・7・25


ウィーンとパリの旅(1)☆ フランクフルトで乗り換えて
 




(2010年7月10日撮影)

今年の夏休み、
7月10日から19日まで
連休をフルに利用して(*^-^)
ウィーンとパリに行ってきました。

10日間の旅日記を
少しずつ書かせていただきますね。

先ずは、JALはウィーンの直行便が無いとのことで
フランクフルト行きに搭乗。

成田から飛んだJAL機です。






(2010年7月10日撮影)

そしてコチラは、
シートベルト着用サイン点等直前、
フランクフルト上空からパチリ。

いつもなら、窓際席を希望して
機外の写真を撮れるのですが

今回は、ネットで72時間前にスタートする
フライトチェックイン方式。

スタートから1時間後には窓際が取れず
同行者(家人ですが・笑)とも
通路を挟んでしか取れませんでした。

季節柄か、あっとゆう間に
満席なJALだったのです。







(2010年7月10日撮影)

こちらが フランクフルト国際空港
JALが使う第2ターミナル、
ココだけでも広かったですよ~


今回は、ホテルと
空港間送迎だけの
2人だけで行動する
フリーな旅だったので

広い空港内を移動し
次の便へ自分で乗り換えなければなりません。







(2010年7月10日撮影)

預けたトランクは、
そのまま、最終目的地のウィーンまで
自動的に積み替えてくれるので
ココはスルー。

オーストリア航空のゲートは別のターミナル、
さ、間違いないように さっさと向かいましょ!







(2010年7月10日撮影)

ターミナルへ1は、右側に見える
スカイライン(シャトル)に乗ってGO!

実は、何年か前、
同じようにフリープランでロンドン・パリに行ったとき
行きのスイスでの乗り換え、同じようにターミナル間を
シャトルに乗らなければならないことがありました。

なのに、ボーっと、まだ時間あるから
搭乗ゲートが掲示されないのね!などと
到着ゲートでチョコレート屋さんなんかを見ながら
のんびりしてしていて
ちょっとだけあわてた苦い経験が・・・・

今回は、さすがに、しっかり聞きながら
シャトルに乗り込みました。











2010・7・26


ウィーンとパリの旅(2) ☆ フランクフルト~ウィーンへ






(2010年7月10日撮影)

フランクフルトの大きな空港で
トランジェット(乗り換え)

オーストリア航空発着のターミナル2に無事到着。
さあ、ココから、自分達の乗る飛行機の搭乗口を
掲示板で確認しながら(時々変更もあるので・・・)
スタスタと、歩かなければなりません。







(2010年7月10日撮影)

国際線はターミナル1と2、
そしてターミナル1だけでもA・B・Cホールがあり、
こんなお店がいろんな所にあって・・・

そして、目的のBホールだけでも
ゲートは60以上と
大きい空港なので
目的地は意外と遠いことがあるから
前進あるのみ・・・
よそ見はいけません。(笑)






(2010年7月10日撮影)


遂にB12に到着しました~
さすが、すぐ近くの国へのフライトだけに
みなさん、リラックスムード。






(2010年7月10日撮影)

ゲートに無事着いたので、
飲み物でも買おうかと・・・







(2010年7月10日撮影)


美味しそうなものがどうしても目に付きます。
大き目のサラダ?サンドイッチ?

いえいえ、買っていません。フフ・・・








2010・7・23


ウィーンとパリの旅(3) ☆ 日没時のウィーンへ到着
 




(2010年7月10日撮影)


無事、フランクフルトで
最初の訪問地ウィーンへの飛行機に、搭乗。

タラップを上って乗るのって
旅情が増しますね。







(2010年7月10日撮影)

いよいよ離陸・・・

機内では、外国の人ばっかり、
満席でした~。

このとき、現地時間で20時10分、
こんなに明るいんですよ。







(2010年7月10日撮影)


眼下にはフランクフルトの町が見えます。

ウィーンまでは1時間25分のフライト。







(2010年7月10日撮影)

次第に、日が傾き
機内から見る空が、
夜の帳(とばり)のプロローグとして
夢色に輝いています。








(2010年7月10日撮影)

いよいよ、ウィーンへ着陸態勢。

ヨーロッパの中心として
600年の歴史を刻んだハプスブルグ家の誇る
オーストリアの広々とした大地が広がっています。







(2010年7月10日撮影)

ついに、ウィーン国際空港。
円形の煙突のような管制塔が特徴的です
日本から、約16時間の長旅でした。








(2010年7月10日撮影)


日の長い、夏のヨーロッパとはいえ
さすがに、夜21時35分ともなると
とっぷりと日が暮れようとしています。


さあ、明日からのウィーンでの日々・・・
降り立った瞬間から
本当の旅がはじまります。







2010・7・31


ウィーンとパリの旅(4) ☆ ウィーンでのホテル
 




(2010年7月11日撮影)

いよいよ、ウィーン2日目の朝。
今回のホテルはベルヴェデーレ宮殿の傍にあり
こんな通りに面しています。

写真中央の建物は、
私のホテルの近くでコレもホテル。

空中を横切っているのは
トラム(市電)の電線?です。








(2010年7月11日撮影)


そして、コチラが今回投宿した
ホテルのエントランス。

シンプルで簡素なホテルですが
まあまあ、こんなもんでしょ、というのが感想。(笑)







(2010年7月11日撮影)

フロントには、最小限の人数しかいません・・・

その辺で、コストを抑えているのでしょうね。
でも、まあ、取り立てて不都合はありませんから
これで、良いのです、よね。







(2010年7月11日撮影)

こちらが朝食をとるレストラン。
綺麗にコーディネートされていて、
テーブルセッティングもキチンとされていました。








(2010年7月11日撮影)

バイキングですが
おいしいチーズが色々あって、
パンも、種類豊富。

ウィーンだけあって、
朝から焼き菓子まで並んでいます。







(2010年7月11日撮影)

コチラが、きらら♪風セレクト。
え?食べすぎ?

いえいえ、大丈夫、
これから一日歩き通しなんですから。(爆)








2010・8・1


ウィーンとパリの旅(5) ☆ いざ ウィーン観光へ
 




(2010年7月11日撮影)


昨日もご紹介した
ホテルの目の前の通りを走る市電(トラム)に乗って
いよいよ、最初の目的地、
ベルヴェデーレ宮殿に向かいます。
道路の中央にあるついたての様な所が
市電の停留所で、
ホテルのすぐ目の前にありました。







(2010年7月11日撮影)


市内観光スポットで見かけた
馬車も、いまご出勤ですね!

市電と並んで闊歩するなんて、
楽しいですね~

一回ぐらい乗ってみたいと思いつつ、
今までどの国でも、
一度も乗ったことがありません。

(京都の人力車も
乗ってみたいとおもうけど、
なかなか、勇気がありません)

今回も、市電で出かけることにいたしましょう。








(2010年7月11日撮影)


そこで、ホテルで求めたのが
ウィーンカルテというチケット。

72時間、市電、地下鉄、
バスが乗り放題で18.5ユーロ。
美術館なども割引サービスを受けられる特典付き。

氏名と日付を記入して
最初の乗り物で時刻印を押して使い始めます。







(2010年7月11日撮影)

こんな、モダンなトラムもありますが
車両は新旧入り混じってます。







(2010年7月11日撮影)

これは、私が乗った市電内部。

木製の椅子に、ぬくもりがあって
ナカナカ良かったですよ。













2010・8・2


ウィーンとパリの旅(6) ☆ ベルヴェデーレ宮殿:バロック式庭園
 




(2010年7月11日撮影)


こんもりした緑地で、
この辺だろうと見込んで降りてみたら、
ジャストな停留所だったようで、
ベルヴェデーレ宮殿入り口の一つでした。

前回訪れたのは、2007年、
少しは記憶が生きているものですね。

アイアンのアーチがとてもおしゃれ♪






(2010年7月11日撮影)



木陰を選んで
ベルヴェデーレ宮殿の上宮のほうへ向かう途中
ランニングしている人、
ベンチで休憩している人を見かけました。






(2010年7月11日撮影)

ご覧のような、夏空!
訪れる、前の週あたりまでは
雨が多かったらしいのですが、
ラッキーなことに快晴に恵まれました。
(暑いけど湿度がひくいので凌げます)

こちらは、宮殿の裏側なので、
右側のほうへ回り 表玄関に向かいます。






(2010年7月11日撮影)

こちらが、上宮の前庭
フランス人のドミニクジラールの作庭した
フランス式バロック庭園。

女性のスフィンクスの像が印象的。






(2010年7月11日撮影)

知的な面差し?のスフィンクスですが
なぜか、お胸のところが、黒ずんで・・・

タッチなさる方がおおいのですね。(笑)
鋭い爪で引っかかれそうなのに・・・ね?











2010・8・13


ウィーンとパリの旅(7) ☆ ベルヴェデーレ宮殿:オーストリアギャラリー
 




(2010年7月11日撮影)



ところで、話は旅行に戻って
前回に引き続き
ベルヴェデーレ宮殿上宮のバロック式庭園。

入館後、宮殿内の少し高い所から、
窓ガラス越しに撮りました。

向こうに見えるのが博物館になっている下宮。






(2010年7月11日撮影)

話は前後しますが
まだ、開館まで少し時間があったので
水辺までお散歩。






(2010年7月11日撮影)

広いお庭が、綺麗に整備されていて、
すがすがしい景観を保っています。

その時代のお姫様や、奥方は、
こんなステキナ眺めを
独り占め気分で楽しんでいたのでしょうか・・






(2010年7月11日撮影)


現在、上宮の内部は
オーストリアギャラリーとよばれる
美術館になっています。


チケットを買って
自由に散策するような気分で鑑賞タイム。






(2010年7月11日撮影)

中央の人が立っている所がゲート。
いざ、クリムトとシーレの世界へ・・・
ここからが今回の旅の目的の始まりです・・・









2010・8・15


ウィーンとパリの旅(8) ☆ オーストリア美術館・クリムト1
 




(2010年7月11日撮影)

7月に訪れたウィーンのオーストリア美術館は
ベルヴェデーレ宮殿上宮にあります。

写真は入り口となっている彫刻の飾ってある
サラテレーナ・ホールから昇る階段。

アイアンのランプ、
一つだけでいいから欲しい・・・(笑)






2階に上ってくると
迎えてくれるホールが「大理石の間」

シャンデリアも素晴らしい・・・







(2010年7月11日撮影)

そして、天井画にも、うっとり。
思わず、あんぐりと口を開けて見上げてしまいそう。





そして、左右に続く美術館の東棟に進むと
ゴッホ好きの私の眼に飛び込んでくるのは
「オヴェールの平野」(1890年)50×101cm

前回(2007年)訪れたときはカメラOKだったのに
今回は、撮影禁止!(><)

ご紹介の写真は前回の旅行で撮っていた画像です。

37歳のゴッホはパリ郊外のオヴェールに移り
自殺するまでの2ヶ月間に数十点の絵を描きましたが
本作はその中の一点。

精神病の発作におびえる
画家の苦悩が表れている作品。







続いて、クリムトの
「ソニア・クニップスの肖像」
(1898年)141×141cm

正方形の斬新なキャンバスに描かれた
実業家夫人の肖像。

モデルが手に持っているのは
クリムトのスケッチブックで
色彩のアクセントの妙。

クリムト36歳の作品ですが
モードに敏感な画家が選んで
描いたのはファッショナブルなことで
有名な女性ばかりだとか・・・。





そのクリムトがオーストリアのファッションを
リードした恋人エミーリエと訪れたという
アッター湖畔のカンマー城を描いたシリーズの一作で
「カンマー城公園の並木道」(1912年)110×110cm

静謐(せいひつ)な風景画は
クリムトの金彩をふんだんに取り入れた
装飾的な女性の肖像画に通じます、ね。









2010・8・16


ウィーンとパリの旅(9) ☆ オーストリア美術館・クリムト2
 





クリムトといえば、
金彩をたっぷり施した女性の肖像画を
思い描かれる方も多いのでは・・・

写真は、7月に訪れたオーストリア美術館で観た
「ユディト1」
(1901)84×42cm
旧約外典に搭乗するユディトは敵の司令官を
誘惑し、その首をかききり
ユダヤを勝利に導いたとし
男を破滅させる魔性の女として
世紀末にサロメと共に好まれたテーマ。





そして、なんと言っても圧巻が
「接吻」(1907~08)

180×180の正方形キャンバスに描かれた大作は
宮殿の広い空間にド~ンと展示されています。

抱き合う男女が口づけを交わして居る場所は
花園か、断崖絶壁か・・・

クリムト46歳のとき発表した作品。

クリムトは当時タブーとされていた
男女の性愛を描き続け
その頂点に位置するのが「接吻」

クリムトは個別の物語性を
装飾の向こう側に封じ込め
男女の性愛だけを抽出し、
官能的で普遍的な愛の姿を描きました。

この作品を目当てに全世界から
ココ、ウィーンの美術館を
訪れる方も多いようです。

そして、写実的に描かれた女性の表情から
彼女の心のうちが伝わってくるようです。












2010・8・18


ウィーンとパリの旅(10) ☆ オーストリア美術館・エゴン・シーレ
 






エゴン・シーレ「死と乙女」
(1915年)150×180cm


前回訪れたときにシーレの絵と出会い
今回の旅では、きらら ♪一番のお目当ての画家でした。

シーレのとげとげしく緊張感のある線で描いた
暗い絵の中に、
第一次世界大戦にむかう時代の不安や
王都ウィーンの断末魔の叫びが
込められているという。


そして、この絵で抱き合う男女は
古くからの恋人ヴァリーとシーレ本人とされ
25歳のシーレは、この年ヴァリーと別れ
新しい恋人エデットと結婚。

芸術家は情熱的なんですね~







同じく、シーレの「家族」
(1918年)150×160cm

1918年3月に開催された分離派展で
メインルームを与えられたシーレ最盛期の作品。

この絵は最初、夫婦二人の肖像で描きはじめられ
妊娠を知ったシーレが甥をモデルに、
未来の家族を描き足したエピソードがあります。

シーレの描いた理想の家族・・・

しかし実際は、スペイン風邪のために
妊娠中の妻エデットを亡くし
わずか3日後シーレも同じ病で28年の生涯を閉じたのです。

17歳でクリムトに見出されたシーレが
20歳で新進画家としてデビュー。

21歳でヴァリーとの出会い
鮮やかな色彩と穏やかな画風を得たシーレが
病に倒れた無念・・・

鑑賞者に対して
絵の中から、強い意志をもって投げかけてくる視線に
圧倒されるシーレの作品たち。

ウィーンまで再び会いに行って良かった!
と改めて思うのです。











2010・8・20


ウィーンとパリの旅(11) ☆ 電車に乗ってウィーン美術史美術館へ
 





(2010年7月11日撮影)

再び、ウィーンの路面電車に乗って
ウィーン美術史美術館へ向かいます。

写真のように、
おしゃれな広告が描かれた電車もあります。

電車に乗って美術史美術館が見えた所で下車。
いたって、のんきなものです。







(2010年7月11日撮影)

みえました、みえました!!
偉大なる女帝 マリア・テレジア。






(2010年7月11日撮影)


オーストリアを大きく発展させ
ハプスブルグ家を不動のものにした女王の像が
美術史美術館の前庭に君臨しています。






(2010年7月11日撮影)


こちらは、銅像を真ん中にして
対をなす、自然史博物館。
(生憎、今回も入館はしません)





(2010年7月11日撮影)

こちらが、待望のウィーン美術史美術館。
ヤッホー♪

歴代神聖ローマ皇帝が輩出した
ヨーロッパ有数の名門、ハプスプルグ家。

この美術史美術館には
600年以上に及ぶ治世の間に
王家が収集した数十万点を越す
美の遺産が収集されています。

博物館、美術館共に、
絶世の美女で劇的な最期をとげる王妃、
シシー(エリザベート)のご主人フランツヨーゼフが
美術館と博物館として建設した建物です。





(2010年7月11日撮影)

チケットを購入し
イヤホンガイドを借りて
いざ、美の宝庫へ~

コチラが館内のエントランス。
階段下でチケットチェックがあります。

階段上の中央で出迎えてくれるのは
ミノタウロスを殺すテセウスの像。











2010・8・23


ウィーンとパリの旅(12) ☆ ハプスブルグ家の美の宝庫
 




(2010年7月11日撮影)

ハプスブルグ家のフランツヨーゼフ皇帝が建てた
美術史美術館のエントランスの階段。

随所で見る大理石の円柱は
表だけが大理石。
なぜなら、ウィーンでは、
大理石は採石されないからです、ね。





(2010年7月11日撮影)

ミノタウロスを殺すテセウスの像。
真っ白で美しく、かつ迫力満点。






(2010年7月11日撮影)

階段をどんどん上ります。

ふ~コレだから、旅は体力、脚力勝負デスネ。





(2010年7月11日撮影)

それにしても、装飾は荘厳さをそなえ
なおかつ、流麗で美しい・・・




(2010年7月11日撮影)

オペラハウスのようです!

美の殿堂は、
建築そのものまでもが、美の極み。





じつは、時まさにランチタイム。
階段を休むまもなく上ってきたのは、
こちらで休憩食事をするという
憧れを成就するためだったのです。(笑)










2010・8・24


ウィーンとパリの旅(13) ☆ アートなカフェで一休み
 






数年前に訪れたときから
憧れやまぬカフェ、
ウィーン美術史美術館2Fにある
レストラン(&カフェ)ゲルストナー。

丸い手すりの下は、
美術館の入り口からの吹き抜けです。







ハプスブルグ歴代皇帝の膨大なコレクションを納める
ウィーン美術館の
建物内にあるだけに、大胆に、かつエレガントな
大理石の装飾が食事をしながら存分に楽しめます。

床の模様も斬新でしょ!






(2010年7月11日撮影)

本店はケルントナー通りにあるゲルストナーで
いただいたランチは、ペンネ。(家人セレクト)







(2010年7月11日撮影)


この日のサービスメニューから
選んだ、野菜もいっぱいの一皿。
(きらら♪セレクト)






(2010年7月11日撮影)

そして、ウイーンらしいでしょ?
コーヒーも、トルテも
ふんわり、あっさりなクリームがいっぱい。

実は、今回のウィーン旅行では
このゲルストナーのトルテと、
デーメルのトルテ、そしてザッハトルテの
三つの、味比べもしたかったのです。


「アートなランチ」は
目にも、心にも、胃にも、
とっても満足なランチでした。








2010・8・28


ウィーンとパリの旅(14) ☆ ウイーン美術史美術館・1
 




(2010年7月11日撮影)


ウイーン美術史美術館は
まさに、ヨーロッパ有数の美の宝庫。

中央のレストランを出て
東西に分かれている美術館の
先ずは東ウィングへ進みます。

その中でも、きらら♪お目当ては
フェルメールの「絵画芸術の寓意」
フェルメールの作品36点のなかでも
画家が死ぬまで手放さなかった作品の一つ。

背景に描かれたオランダの古地図や
歴史の女神クリオに見立てた女性など、
歴史を描くことが芸術家としての使命だと
当時の画家達の意識の芽生えを
フェルメールは高らかに表明しているのです。






(2010年7月11日撮影)

17世紀オランダ絵画の黄金期を担った
レンブラントの「大自我像」

素描を含め100点以上の
自我像を描いたレンブラントは
波乱の人生を余儀なくされた画家。

絵画が人間の魂をも表現しうることを
明暗の画家として描ききった
偉大なる画家だと、
オランダを訪れ観た絵画から実感したことを
改めて思い出しました。






(2010年7月11日撮影)

ブリューゲル(父)の
「バベルの塔」1563年

神へのおそれを忘れた
おろかな人間が、天まで届く塔を建てようとする
聖書の物語を主題にしています。

この絵のリアリティは、
知識人、ブリューゲルの
「人々は、何故このように愚かになってしまったか?」
という、哀しみが伝わってくるからかもしれません。






(2010年7月11日撮影)

「雪中の狩人」
ブリューゲル(父)1565年

ネーデルランド(ほぼ現在のベルギー)が
毛織物貿易などで繁栄したころ、

都市部の繁栄をよそに、人口の大半をしめる
民衆の暮らしをアルプスの大きな風景を舞台に
緻密な筆致で描いています。





(2010年7月11日撮影)

そのブリューゲルの著名な作品のひとつ
「農民の結婚式」1568年

農民を描く画家としての名声を決定づけた一枚。


盆代わりの戸板や桶を逆さにした椅子等
細部にわたって見飽きることのない
ブリューゲルの作風が楽しめます。


教科書にも登場するこの絵は
農民の暮らしの楽しいひと時が
いきいきとリアルに表現されていて、
この絵の前に立つと、その時代の結婚式に
招かれた気持ちになります。





☆☆☆・・・☆☆☆・・・☆☆☆・・・☆☆☆




つい、絵のことになると
熱くなってしまい、素人ながら
絵を鑑賞した記録としてブログに記してしまいます。

今日も、最後まで読んで下さってありがとうございます。











2010・9・4


ウィーンとパリの旅(15) ☆ ウイーン美術史美術館・2






(2010年7月11日撮影)


ところで、話は旅行に戻って

前回に引き続き

7月に訪れたウイーン美術史美術館から
ルーベンス「小さな毛皮」(1635~40年ごろ)
のご紹介。

ルーベンスが53歳で再婚した
37歳も若い妻エレーヌ・フールマンが
モデルとされています。

豊満な女体美に人間への
愛と信頼を込めたといわれますが
それにしても・・・豊かな!肢体ですね~。

体つきから、若妻とは思えませんでしたが・・・

それにしても、小さな毛皮とは
面白い題名ですよね!

ルーベンス自身が付けたタイトルなんでしょうかね~?








(2010年7月11日撮影)


ラファエロ「牧場の聖母」1506年

フィレンツェ滞在中の23歳のときの作品。
聖ヨハネから十字架を受け取るキリストは
将来磔刑に処せられることを暗示。

聖母の顔を頂点にした
安定した三角形の構図は
自愛に満ちたマリアの愛が
絵画全体に満ちている気がします。

マリアの足の指先までもが美しい・・・








スペイン国王フェリペ4世の
宮廷画家になったときベラスケスは24歳。

その後、50台半ばになって
女王マルガリータの5枚の成長の記録を
肖像画として描きます。

なぜなら、ウイーンの神聖ローマ帝国に送る
見合用の肖像だったのです。







(2010年7月11日撮影)


前回行った時には、
このマルガリータさまは
観ることができなかったので(貸し出し中?)
今回は、ラッキー♪







(2010年7月11日撮影)

幼いマルガリータ姫の姿も
こうして、記録され、未来の嫁ぎ先へ
送られたわけです。

用意周到、政略結婚も
なかなか大変だったのでしょうが

幼い姫が
画家の注文に応じ
じっとしていたのは、何分ぐらいなのでしょう?

それとも、生まれながらに高貴な姫にとって、
じっとモデルになるのはお役目として、
難なく、こなせたのでしょうか。







2010・9・5

ウィーンとパリの旅(16) ☆ シーレとクリムト:レオポルト美術館





(2010年7月11日撮影)


7月に訪れたウィーン美術史美術館を出ると
ご覧の、メタボなモーツァルトが
金ぴかの衣装で出迎えてくれました(笑)

ヨーロッパで良く出会う
銅像のように動かないパフォーマンスで
彼らの前には、必ず帽子がおかれています(*^-^)





(2010年7月11日撮影)

次なる目的の美術館は
すこし歩いて
ミュージアム・クォーター・ウィーン(MQ)にある
レオポルド・美術館へ。

写真はMQに入った所で
右側のアーチの門をくぐって入りました。






(2010年7月11日撮影)

MQ最大の見どころ、レオポルド美術館。

暑い日だったので、
この階段に、ちょっとたじろぎそうになりましたが、
これしきのことで、弱音をはいてはいけません!(笑)






(2010年7月11日撮影)

シーレの「4区の街並み」(1913年)

当時の街並みを描いています。
色調が、シーレらしいですね。







(2010年7月11日撮影)

そして、こちらがシーレ画家の自我像。
エゴン・シーレ
「ほおずきの実のある自我像」(1912年)

この絵に会いたくて、
この美術館までやってきたようなものです。

作品は想像以上にコンパクトで
32.4×40.2センチ。

緊張に満ち、21歳の画家の自我像として
見るものを一瞬にして捕らえる
印象的な代表作。

絵の具の透明な効果を生かすため
薄く塗られた絵には鉛筆画の下絵が
透けて見えるほど・・・

インパクトがあって
40センチほどのサイズとは思えない
迫力が感じられました。

そして、絵の中から投げかける視線に
青年シーレの言葉が聞こえそう・・・。






(2010年7月11日撮影)

そして、ウイーンで活躍したもう1人の偉大なる画家、
グスタフ・クリムト晩年の代表作のひとつ
「死と生」(1911-16年)178×198cm


1911年に制作が開始され、
同年ローマ国際美術展で第1等を獲得するものの、
その後大幅に加筆修正され、
最終的な完成までに5年もの歳月を要したといいます。

「生」と「死」の対峙・循環をテーマとした作品は
さすがに、迫力がありました。






(2010年7月11日撮影)

画家達の渾身の力作を堪能した後は
美術館中にあるカフェで
ひとやすみ、ひとやすみ・・・一休タイムです。

アイスカフェというと
こんなのが出てきますが
あちらでは、どこでオーダーしても
なぜかぬるめ・・・

ホットコーヒーを
注いで作るからのよう・・・?
決して、パック入りコーヒーなど使わず
本式なんでしょうけどね!
クリームもあっさり風味で美味しかったです。


でも、暑く冷房も省エネだったので
日本風の“しっかり冷えた”
飲み物が欲しかった!です。(笑)








2010・9・5

ウィーンとパリの旅(17) ☆ シーレとクリムト:ウィーンの街並み





(2010年7月11日撮影)


ところで、話は旅行に戻って

7月に訪れたウィーンから
美術館めぐりをしている時の街並み・・・

整然としていて、あまり人が多くはありません。
もっとも、暑かったので、誰も歩かないのかも・・・(笑)






(2010年7月11日撮影)

そして向かったのが、「黄金のたまねぎ坊主」との
異名をもつ、「分離派会館」(セセッション)

実は、だいぶ歩いたのですが、
建物が特徴的ですから
遠くからも、分かりました。

19世紀末、新しい芸術「ユーゲントシュティール」
(フランスではアールヌーボーと呼ばれる)が
盛んになり、絵画ではグスタフ・クリムトが中心となり
その建築郡の一つが、こちら。
当時は、賛否両論だったのに今では観光スポットのひとつ。






(2010年7月11日撮影)

月桂樹の葉を型どったすかし模様のドームが
美しい建物の地下には、
クリムトの壁「ベートーヴェン・フリーズ」があり
壁画だけに、ココまで足を運ばないと見れません。

生憎撮影禁止だったので、写真はありません。

現在は新進アーティストの作品を展示するギャラリーで
入り口中央の垂れ幕がこの日の展示の看板。
(時間の関係で、地下のクリムトだけを鑑賞)





(2010年7月11日撮影)

そのあとも、頑張ってひたすら歩いて
ウィーン・ミュージアム・カールスプラッツへ・・・

こちらは館内のエレベーターから見た
カフェスペース。

大きなフォト作品で壁面を飾っています。





(2010年7月11日撮影)

クリムトのちょっと不気味な絵は
“ウィーンの妖怪”(笑)ではなく
学問と知恵そして戦いの女神
「パラス・アテネ」
(1898年)75×75センチ

本人の右手の上には、勝利の女神二ケの像が
描かれています。






(2010年7月11日撮影)

「エミーリエ・フレーゲの肖像」
1902年 181×84センチ

生涯独身だったクリムトの伴侶と呼べる
たった一人の女性がこのひと。

12歳年下で、服飾デザイナーとして活躍する
「新時代の女性」でした。

背景や衣装を装飾的に描くことで
衣装から浮かぶ顔の表情だけが写実的で
神秘的で妖艶な女性を印象付けています。

しかし、エミーリエはこの肖像画を好まず
6年後に競売にかけて売り払ったといいます。

それは、衣装が自分のデザインと
かけ離れていたから・・だそう。







(2010年7月11日撮影)

シーレの「イーダ・レスラーの肖像」
1912年 31.5×39.5センチ


シーレのパトロンで美術評論家の妻の肖像。
色使いがモダンな印象を与えています。







(2010年7月11日撮影)

美術館をでて、
カールス広場をゆっくり歩くと
ブラームスが迎えてくれ・・・

絵画の迫力と
歩き疲れが、ブラームスの音なき音楽で
癒されるようにかんじました。



☆☆☆・・・☆☆☆・・・☆☆☆・・・☆☆☆



つい、絵のことになると
熱くなってしまい、素人ながら
絵を鑑賞した記録としてブログに記してしまいます。

今日も、最後まで読んで下さってありがとうございます。







2010・9・13

ウィーンとパリの旅(18) ☆ ウィーンの街並みとモーツァルトの結婚式場





(2010年7月11日撮影)

この夏の旅の目的のひとつ美術館めぐりの
ウィーン編を終え、目抜き通り
「ケルントナー通り」にやってまいりました。

本当はもう一つ6箇所目を巡る予定で、
その大学付属の美術館を
探しあるいて行ったのですが、そこは
改修中とかでクローズド。


この日の殆どを徒歩・・・ここまでも
地下鉄2駅分くらいだったのですが、
結局オペラ座を見ながら
歩ききりました!
(いつも車なのに、
良くぞ歩いたと、我ながら感心します)





(2010年7月11日撮影)

ケルントナー通りは、比較的道幅もせまく
歴史を感じる歩行者専用道ですが
時折、こんなモダンな建物もあります。






(2010年7月11日撮影)


ケルントナー通りを行くと
この旅行のお目当ての一つ、
シュテファン寺院に行き着きます。

800年の歴史をもつこの寺院は
ハプスブルグ家の歴代の人々の
内臓を収めた壷が
カタコンベ(地価墓地)に保存されています。





(2010年7月11日撮影)

屋根のタイル張りも美しく、
右側の鐘楼には、翌日登りました。

すごくいい眺めでしたよ。

ところで、教会の塔の修復部分が
教会の写真プリントされているシートで
覆われているのがご覧いただけるでしょうか?

上の写真の間違い探し?みたいですが、
楽しんでみて!(*^-^)






(2010年7月11日撮影)

こちらが荘厳な内部。

ミサが行われていましたが
観光客も、教会内部に入れていただくことができ、
こうして写真もOKでした。

じつは、この教会は
モーツァルトが結婚式を挙げたことでも
しられています。

同じ場所に居るのだと思うと
歴史をかんじますし、感激です。
これぞ、旅の醍醐味・・・






(2010年7月11日撮影)

わたしも、キャンドルを灯して
再び願い叶って
此処ウィーンに来れたことを感謝しました。






(2010年7月11日撮影)


コチラが、シュテファン教会の反対側。

白馬と白い馬車・・

おとぎの国みたいですね。

ウィーンでは普通に、市電とならんで
馬車が走っていたりするので
とっても興味深かったのですが

たしかに、毎日、この場所まで
お馬さんたちの家から出勤(*^-^)するのですよね。







(2010年7月11日撮影)



どこから見ても、立派です~

ところどころ、まだらに白黒なのは
石の汚れ・・・

年中修復や清掃されているので
まだらに、白かったりするのが
ヨーロッパでの建築物でよく見られる光景です。
(数年前のミラノ大聖堂も、そうでした~、
きっとまだ、全部はクリーンではないと思います)

何をするにも壮大で、
時間も予算もかかるようです。







2010・9・15

ウィーンとパリの旅(19) ☆ ウィーンの地下鉄




(2010年7月11日撮影)


少々(かなり?)歩きつかれたので
シュテファン教会を後に軽い食事をとって
近くの地下鉄駅からホテルに帰ることに・・・

写真は、地下鉄ホーム。





(2010年7月11日撮影)

ホテルの傍の地下鉄駅をでたところ。
(右が駅)

通りは町の人が
気軽にお買い物できる感じの
商店街・・・しゃれた舗装ですね。





(2010年7月11日撮影)

なかなか近代的な
地下鉄の降り口(駅舎?)です・・・






(2010年7月11日撮影)

しかし、此処からが問題でした!
何せ朝、ホテルから目の前を走る
市電に乗って出かけたので
地下鉄駅周辺はこのときが初めての景色・・・

右に行ったものやら、左へ行くべきか???
地図通りにはうまくいかず
最初、すっかり反対側に歩いてしまって
日中散々歩いたのに、
ここで、
またウォーキングの距離を稼いでしまいました!






(2010年7月11日撮影)

ガソリンスタンドの人に聞いたりして
なんとか、ホテルにたどり着きました・・・

ウィーン観光1日目、
なんと、美術館5館を梯子して
〆は教会・・・
朝はやくから、夜まで
一日歩き回りましたが

お日様は沈むのを忘れたかのような
明るいウィーンの夜なのでございました。







2010・9・15


ウィーンとパリの旅(20) ☆ ウィーンの街並み





(2010年7月12日撮影)

ウィーン観光2日目、
ホテル近くの地下鉄駅周辺の街角。

この日も、好天に恵まれ、いざ出発!






(2010年7月12日撮影)

着いたところは、シュテファン寺院傍の地下鉄駅。

地上に上がると、ROLEXの立派なお店が・・・
この門構えに恐れをなして(笑)入店はしませんでした!
もっとも、開店前の時間帯だし・・・(*^-^)






(2010年7月12日撮影)

こちらは、ウィーン目抜き通りの花屋さん、
フローリストは万国共通、朝早いですね。




(2010年7月12日撮影)

日本で言ったら、日〇谷花壇てところでしょうか・・・
高級花店の雰囲気が漂ってますね。

並んでいるお花には、アジサイやラベンダーもありますね。





(2010年7月12日撮影)

さて、この日の最初の目的は、
昨日訪れた「シュテファン寺院の塔に登ろう!」です。

カバーされた写真右手の高い鐘楼に今から登ります。
はて?入り口は何処かいな?











2010・9・19

ウィーンとパリの旅(21) ☆ ウィーンの街並み・鐘楼からの眺め





(2010年7月12日撮影)

前日に引き続いて、
ウィーン・シュテファン寺院の
鐘楼に登ってきました~。

階段を上り詰めて・・・といいたい所ですが
文明の利器、エレベーターを使って一気に上り、
そのあと、少しだけ、螺旋階段を登ります。






(2010年7月12日撮影)

うろこ模様の屋根瓦、おしゃれでしょう?
中欧はこんな感じの屋根瓦が多くみられ、
とても印象的で、綺麗です。






(2010年7月12日撮影)

高所恐怖症の方は、
パスして下さいませ・・・(*^-^)

結構な高さがあります。
右下には、白馬の馬車がみえます、ね。






(2010年7月12日撮影)

下りもエレベーターを使って
(ホントに小さくて、定員3~4人かも)
無事、下界に降り立ちました。

エレベーターボーイ君が
白いワイシャツ姿の男の子だったので
高校生?と尋ねたら、はにかみながら「YES」とのこと。


教会のエレベーターで出会った純情な男の子・・・
思い出すたび暖かな気持ちにさせてくれます。


そして、次に向かうはハプスブルグ王宮。

写真の右から二番目の通り、
白いテントの向こうをまっすぐ行けば着くはず!

さあ、ご一緒に、歩きましょ!
ちょうど、日陰になっているようだし・・・






(2010年7月12日撮影)

王宮への途中にあるのは
ペスト記念柱。
(三位一体記念柱とも言います)

ヨーロッパ中に蔓延したペストが
1679年ウイーンも襲い、
約10万人もの死者をだしたとか。

その終結に感謝して建てられた碑。
時の皇帝が膝まづき祈っています。






(2010年7月12日撮影)

雰囲気のある、
落ち着いた町並コールマルクトを歩いていくと
いよいよ、この先に
王宮のミヒャエル門がみえてきました。

コールマルクトとは、
木炭の市場が
開かれていたことに由来する名前だそうです。

ウィーンの冬は、寒いといいますからね。


© Rakuten Group, Inc.